種田山頭火について
たねだ さんとうか 1882-1940
自由律俳句の俳人。自選句集『草木塔』。
山頭火とは
種田山頭火(たねだ さんとうか、1882–1940)は、五七五の定型にも季語にもよらない「自由律俳句」の俳人です。本名を種田正一といい、山口の生まれ。四十代なかばで出家し、笠と鉄鉢ひとつで歩きながら句を書きつづけました。
名は「さんとうか」と読みます。山が火を頭にいただく、という字面のとおりの号です。
歩いた道
大正十四年(1925)、熊本で出家得度し、味取観音堂の堂守となります。やがて堂を出て、笠と鉄鉢ひとつの行乞流転の旅がはじまりました。「分け入つても分け入つても青い山」は、その道のはじまりに置かれた句です。
昭和七年(1932)、山口の小郡に「其中庵」を結び、はじめて自分の庵を持ちます。雪や月と差し向かいの独居、御飯の炊ける音。旅の句とはちがう、暮らしの句がここで生まれました。
昭和十一年(1936)には、芭蕉の足跡と亡き友の墓をたずねて東へ長い旅に出ます。昭和十三年(1938)に其中庵を離れて湯田温泉の「風来居」へ。翌年、信濃から東北をめぐり、四国へ渡りました。
終の住処となったのは松山の一草庵です。昭和十五年(1940)十月十一日、そこで亡くなりました。五十七歳でした。
自由律俳句ということ
山頭火の句には、五七五の音数も、季語もありません。荻原井泉水の俳誌「層雲」に拠り、定型を離れたところで句を書きました。
「まつすぐな道でさみしい」は十二音しかありません。それでも句として立っているのは、言い切ったあとに何も足していないからです。短さは省略ではなく、そこで終わってよいという判断のあらわれです。
『草木塔』について
『草木塔』(そうもくとう)は、亡くなる年の昭和十五年(1940)に山頭火が自ら編んだ自選句集です。生涯の句から選ばれた七百一句が、十一の章と拾遺に分けて収められています。
このサイトでは、その全七百一句を章の順に、一句ずつ読めるようにしています。
底本について
句のテキストは、青空文庫に収録されている『草木塔』を底本としています。種田山頭火の作品は著作権の保護期間を過ぎており、パブリックドメインです。
読み・制作年・章の区分は底本にしたがい、解説はこのサイトで書き起こしたものです。
代表的な句
はじめて読むなら、このあたりから。句をえらぶと、読みと解説のあるページにうつります。