山頭火と尾崎放哉
おざき ほうさい 1885-1926
層雲に拠った、もうひとりの自由律。
尾崎放哉とは
尾崎放哉(おざき ほうさい、1885–1926)は、五七五も季語も手放した「自由律俳句」の俳人です。鳥取の生まれ。東京帝国大学を出て保険会社に勤め、のちに荻原井泉水の俳誌「層雲」で句を書きました。結核を病み、京都を経て、小豆島の南郷庵で亡くなります。四十一歳でした。
種田山頭火より三年若い同時代人です。山頭火が笠をかぶって歩きはじめるころ、放哉はもういません。ふたりが同じ道を並んで歩いた記録はありません。同じ場所にいた、ということです。その場所が「層雲」でした。
よく知られた句
放哉の句は、部屋の中で起きています。動いていない。咳をし、水を受け、墓のうらをまわる。その動かないことが、句になっています。
咳をしても一人
尾崎放哉(パブリックドメイン)
入れものがない両手で受ける
尾崎放哉(パブリックドメイン)
墓のうらに廻る
尾崎放哉(パブリックドメイン)
このサイトは山頭火の自選句集『草木塔』を収録しています。放哉の句集はここにはありません。青空文庫で読むことができます。
どこが重なり、どこが分かれるか
重なるのは、定型を守らないことと、「ひとり」を詠むことです。分かれるのは、そのひとりの場所です。
放哉のひとりは、室内の閉じたひとりです。せきをしても、入れる器がなくても、墓のうらにまわっても、世界は部屋の大きさのままです。山頭火のひとりは、道の上の開いたひとりです。山があり、しぐれがあり、まっすぐな道がある。歩いている。
どちらが正しい、ということではありません。層雲という同じ俳誌に、部屋の句と道の句が並んでいた。自由律が「何でも書いてよい」放縦ではなく、「ここで終わってよい」という判断の話だったことが、ふたりを並べると見えます。
山頭火の側から読む
放哉の「咳をしても一人」の隣に置くなら、山頭火ではこのあたりです。句をえらぶと、読みと解説のあるページにうつります。
この句で、起きる。
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